翻訳者になりたい、あこがれを持つ人は多いと思います。僕もその一人でした。翻訳は韓国語と日本語を扱う非常に楽しい仕事です。僕は翻訳を専業にしてから5年ほどになりますが、今振り返ると苦難の連続だっかかもしれません。この記事では僕が韓国語翻訳者になるまでの道のりを紹介したいと思います。
韓国語との出会い
僕には何でもいいから外国語を駆使したいという目標がありました。しかし、あまり勉強が好きでなかったからか、英語や中国語はそこそこしゃべれるまでにはなったものの、なかなか上級レベルまではたどり着けませんでした。大学卒業後はまったく興味のない会社に就職し、本当につまらない人生を送っていました。会社の仕事がキツく、体も壊してしまいました。その後会社をやめて時間もあったので、親しかった大学時代の韓国人の友人に会いに人生初の韓国に行ったのが、韓国語を本格的に始めるきっかけでした。
ワーホリビザで留学
年齢も20代後半、いつまでも仕事をせずに遊んでいるわけにもいかない僕は、ワーキングホリデーのビザで韓国留学を始めました。お金もあまりなかったし、当時は語学堂より語学院のほうが明らかに学費が安かったのが正規留学をしなかった理由です。1年ほどの留学でTOPIK5級まで無事にとることができました。
結婚を機に韓国での生活が始まる
ワーホリが終わった翌年、僕は結婚しました。韓国人の妻は当時日本にワーホリに来ていたので、ビザが切れるタイミングで韓国に引っ越すことに決め、今日まで韓国で生活しています。
初めての翻訳
韓国来た当初は大学時代、日本語教育を専攻していたこともあり、YBM語学院で日本語会話のクラスの講師、南山コル韓屋村で観光人向けの文化体験プログラムの通訳というフリーランスでの生活でした。当時は通訳のほうがメインでしたが、翻訳も文化体験プログラムの台本、パンフレット、その他定期公演のセリフの字幕翻訳などをやっていました。
翻訳は時々の生活へ
フリーランスの生活はやはり安定しないもの。TOPIK6級を受かっていたこともあり、どこかの会社に務めた方がいいと思い、翻訳や通訳のキーワードで仕事を探し始めました。結局ソウル市観光協会に就職し、「動く観光案内所」に5年ほど勤めました。時々パンフレットや内部文章の翻訳を担当する程度でしたが、地道に翻訳業務は続けられました。
ゲーム翻訳に挑戦
「動く観光案内所」は野外で観光案内する仕事でした。僕が勤務していた当時はPM2.5が猛威を振るっている時期で、常に喉がかゆく、せき込む不調に見舞われました。勤務中はマスクもつけられず喉は悪くなるばかり……そんなこともあり5年務めた案内所を辞めることにしました。
辞めてから少し時間に余裕ができたので、この時期ゲームの翻訳をしていました。バトルゲームで臨場感が溢れるセリフ、そして韓国語っぽい表現にならないように苦労したのが思い出されます。久しぶりに本格的に翻訳できて楽しかったです。
結局観光業で、そしてWebライターに
案内所を辞めてからは翻訳でも仕事を探していたのですが、観光業界に長いこと居たので、結局旅行会社に就職しました。そこでサイトのコンテンツ記事を書く担当になりWebライターをやっていました。文章を書く仕事でしたので今の翻訳の仕事にもつながっているのではないでしょうか。ここでも翻訳業務は時々。それでも地道に続けられてはいました。
コロナ禍と翻訳が本業になるまで
僕が旅行会社に勤めて1年ほどたったころコロナが大流行します。コロナ禍で観光業界は壊滅的な影響を受け、勤めていた旅行会社も休業状態に。その後解雇され、仕事を探す日々が続きました。その中で、とある出版社がインハウス翻訳者を募集しているのを見つけ、思い切って応募。無事に採用され、翻訳を本業とする道が開けました。

出版翻訳を始めるも苦難の連続
出版社での翻訳業務でしたので、担当はもちろん書籍の翻訳です。しかし、ここで一般的な翻訳者と違うことは『日本の本を韓国語に訳す業務』をしていたということです。
毎日外国語で文章を書く難しさを痛感しました。母国語に翻訳するのも簡単な作業ではないですが、やはりそれ以上の難しさがあったと思います。同時は韓国の書籍も読みまくり、残業もして必死にくらいついていく勢いで頑張ってました。
仕事の後は翻訳関連のスクールに通いブラッシュアップもしていました。

初めはデジタルイラストの翻訳から始まり、その後、漫画、健康書、童話、数学の本などさまざまな書籍を担当しました。大変ではありましたが、韓国語の文章力も向上し、いい経験になりました。
この会社は出版部門以外にも様々な部署があり印刷や学術関係の翻訳(こちらは韓国語→日本語)にも携わり、会議の通訳もさせてもらいました。
10数年ぶりのフリーランスとして新たな挑戦
出版社ではデジタルイラストの本や漫画本などを担当していたので、小説より難易度は低かったですが、大変な作業でした。やはりかなり分量を母国語ではない言語に翻訳するので、限界感じる場面も多々ありました。時折、会社が出した本を日本に売り出すための日本語のサンプル版(試訳やレジュメ)の作成もしていたのですがこれが一番楽しかったですね。
非常にやりがいがありましたが、やはり韓→日翻訳をメインにしたいと思いが強く、3年ちょっと勤めた出版社を退社し、現在はフリーランスとして新たな道を歩み始めました。
最近は新たな分野として競馬関係の翻訳、通訳もやらせていただいているんのですが、楽しいですね。出版翻訳(今度は韓日翻訳で)も続けていきたいので、今はいい本の発掘とセールスにも力を入れています。
紆余曲折の連続で順風満帆とは言えませんが、僕は翻訳が好きですし、これからも続けていくつもりです。サクセスストーリーではなく常にチャレンジの連続ですが、翻訳者を目指している方たちの参考になってくれればと思い書いてみました。
本業としてはそれほど長くないキャリアですが、途中で翻訳を辞める時期がなかったのがここまで続けられた大きな要因ではないかと思って言います。何事も地道にやっていくことが大切ですね!
本日も最後までご覧くださいましてありがとうございました。






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